聞き手
決算書の読み込みを、AIに任せられないかと考えています。ただ、売上や取引先の名前が入った資料をそのまま渡して大丈夫なのか、そこが引っかかっています。どこまで入れてよいのでしょうか。
アドバイザー
資料の種類で決めると迷います。決め手は、その情報が誰のもので、誰に対して秘密を守る約束があるかです。自社の情報、従業員や取引先の個人の情報、相手から預かった情報の三つに分けて考えると、仕分けができます。
資料を三つに仕分ける

聞き手
三つに分けるというのは、具体的にどういう分け方ですか。
アドバイザー
入れない、匿名化して入れる、そのまま入れる、の三つです。判断の単位は、資料のファイルではなく、その中に書かれている情報です。同じ決算書でも、数字は匿名化すれば使えますが、社名と代表者名は置き換えが要ります。
| 区分 |
該当する例 |
扱い |
| 入れない |
相手から預かった資料、個人名つきの名簿 |
渡さない |
| 匿名化して入れる |
決算書、契約書、取引先別の売上、ノンネームシート |
社名・人名・地名を置き換えてから入れる |
| そのまま入れる |
公表されている制度の説明、一般的な論点の質問 |
制限なし |
聞き手
自社の決算書は、自分の会社の情報です。それでも匿名化が要るのですか。
アドバイザー
自社の情報でも、売却を検討していること自体が秘密です。取引先別の売上には、取引先の社名が並びます。従業員が売却の話を知れば、動揺が広がります。誰に知られたくない情報なのかを一度考えてから、入れるかどうかを決めます。
アドバイザー
社名を伏せて、事業の内容や規模だけを書いた会社の紹介資料です。買い手候補に最初に見てもらうものです。この下書きをAIに頼む場面は多いのですが、元の資料に社名や所在地が入っていると、AIの入力の時点で伏せた意味が消えます。資料を作る前に匿名化する、という順番です。
聞き手
入れてはいけないものは、どう見分ければよいのでしょうか。
アドバイザー
次の章で、入れない資料を具体的に見ていきます。
入れてはいけないもの
聞き手
「入れない」の区分に、相手から受け取った資料を置いたのはなぜですか。
アドバイザー
自分の情報なら、持ち主である自分が判断できます。相手から預かった資料は、持ち主が相手です。相手と結んだ秘密保持契約で、第三者への開示が制限されている場合があります。外部のAIサービスに入力することがその開示に当たるかどうかは、契約の文言次第です。私が一般論で断定できる部分ではなく、弁護士に確認する領域です。
アドバイザー
個人情報保護委員会は、2023年6月2日に生成AIサービスの利用についての注意喚起を出しています。その中に、個人データを含むプロンプトを本人の同意なく入力し、応答の出力以外の目的で取り扱われる場合は、個人情報保護法に違反する可能性がある、という趣旨の記載があります。入力する前に、サービスの提供事業者が機械学習に利用しないことなどを十分に確認するよう求めています。
聞き手
違反になるかどうかまで、ここで教えていただけるわけではない、ということですね。
アドバイザー
そうです。個別の適否は、法律の判断です。ただ、判断の材料を減らすことはできます。名簿の氏名を消して入力する、あるいは名簿そのものを入れない、という選択です。
CAUTION
上場会社が絡む場合
買い手か売り手のどちらかが上場会社の場合、未公表の取引の情報は、株価に影響する情報にあたる可能性があります。AIに入力することが問題になるかどうかは、インサイダー取引規制の観点を含めて、弁護士に確認してください。
アドバイザー
同じ注意喚起に、利用者は事業者の利用規約やプライバシーポリシーを十分に確認し、入力する情報の内容を踏まえて判断するように、と書かれています。入力した内容が学習に使われるのか、どのくらいの期間保存されるのかは、道具と設定によって違い、変わることもあります。使う道具ごとに、その時点の規約と設定を確かめる。それが基本です。
POINT
入れる前に、一度だけ問う
その情報は、誰に対して、秘密を守る約束がありますか。
自分の会社に対する約束なら、匿名化して入れる余地があります。相手との契約や個人に対する約束なら、入れる前に、契約書の確認が先です。
アドバイザー
入れてよいかは、資料の種類ではなく、守る約束の相手で決まります。
匿名化の手順

聞き手
自社の資料を匿名化して入れる場合の手順を教えてください。
アドバイザー
三つの手順です。ここからは架空の例で説明します。架空の製造業、A社の決算書を読ませたい場面を考えます。
STEPS
- 置き換える。社名、代表者名、取引先名、所在地を「A社」「取引先X」「B県」のような記号に置き換える
- 対応表は手元に置く。記号と実名の対応表は自分のパソコンにだけ残し、AIには渡さない
- 残りを見直す。置き換えた後に、数字や言葉の組み合わせで会社が特定されないかを読み直す
アドバイザー
社名を消しても、会社が分かってしまう場合があるからです。たとえば「B県で創業40年、特定の工作機械部品で国内シェア首位」と書けば、業界の人は分かります。取引先別の売上に「取引先Xが売上の6割」とあれば、その取引先を知る人には手がかりになります。業種、地域、規模、特徴的な数字を、そのまま全部並べない。一つずつぼかします。
アドバイザー
目的によります。収益の推移を見たいだけなら、地域や創業年は要りません。売上の集中度を見たいなら、取引先の社名は要らず、「上位1社が6割」という比率が分かれば足ります。AIに何を聞くかを先に決めて、その質問に要らない情報から落とします。
聞き手
資料は、丸ごと入れたほうが早いのではないですか。
アドバイザー
丸ごと入れると、質問に関係のない情報まで渡すことになります。必要な表や条文だけを切り出して入れてください。決算書なら、損益計算書の数年分だけで足りる質問は多いはずです。入れる量が少ないほど、匿名化の見直しも楽になります。
アドバイザー
契約書は、当事者の名前、金額、住所を置き換えるのが基本です。条文の構造を見る使い方なら、これで足ります。ただ、契約書の点検でAIが見つけたことと見落としたことは、契約書の点検にAIを使って分かったことに書いています。匿名化した契約書でも、読んだ結果の判断は人が行います。
| 資料 |
置き換えるもの |
残してよいもの |
| 決算書・試算表 |
社名、代表者名、所在地 |
勘定科目と数字の推移 |
| 取引先別の売上 |
取引先の社名 |
比率、順位 |
| 契約書 |
当事者名、住所、口座情報 |
条文の構造、期間、条件の型 |
聞き手
匿名化の作業そのものを、AIに頼んでもよいのでしょうか。
アドバイザー
置き換えの作業をAIにさせると、置き換える前の資料を入力することになります。意味がなくなります。手元のパソコンの検索置換で行うか、人が目で確かめながら進めます。手間はかかりますが、ここは省かない部分です。
聞き手
ここまでで、手順は分かりました。AIに任せて助かることと、任せられないことも、あらためて教えてください。
助かること、困ること
聞き手
匿名化までして、AIに読ませる価値はあるのでしょうか。
アドバイザー
あります。ただ、助かることと、入れてから困ることを分けて見てください。
| 助かること |
入れてから困ること、AIでは分からないこと |
| 数年分の推移を短時間で一覧にできる |
匿名化し忘れた社名は、後から取り消せない |
| 条文の気になる箇所の候補を挙げてくれる |
契約違反になるかどうかは、断定できない |
| 文案を複数の言い回しで出してくれる |
事業の特徴から社名が推測されないか、人の見直しが要る |
| 質問リストの抜けに気づかせてくれる |
相手が答えにくい質問かどうかは、人が判断する |
聞き手
右の列の一行目は、取り返しがつかないということですか。
アドバイザー
一度入力した内容が、その後どう扱われるかは、サービスの規約と設定に依存します。経済産業省の知的財産政策室は、秘密情報の保護ハンドブックを2024年2月に改訂し、生成AIの利活用の拡大といった社会の動きを考慮した修正を行いました。2025年にも、あらためて事業者内で情報漏えいの防止を確認するよう呼びかけています。AIの使い方を決めておくことは、いまや情報管理の一部です。
聞き手
AIが返してきた内容には、気をつけることはありますか。
アドバイザー
二つあります。一つは、返ってきた文章に元の社名などが残っていないかを、外に出す前に読み直すことです。もう一つは、数字の転記や計算の誤りです。個人情報保護委員会の注意喚起も、生成AIの応答には不正確な内容が含まれることがあると指摘しています。数字は元の資料と突き合わせて使います。
聞き手
社内のルールとしては、どう決めればよいでしょうか。
アドバイザー
長い規程は要りません。三つの区分と、匿名化の三つの手順を一枚にして、資料を入れる前に見る。それで足ります。M&Aの話は、売却を検討していることを知る人が少ない段階から始まります。AIに入れるかどうかの判断は、情報を知る人を増やす判断と同じ重さだと考えてください。
聞き手
AIに任せる仕事と、人が判断する仕事の境目は、他の場面でも同じですか。
QUESTION
いま手元にあるM&Aの資料のうち、誰に対する秘密保持の約束があるものはどれですか。