聞き手
会社を買ったあとの最初の100日が大切だと聞きます。その間に、何を決めて、何を決めずにおくのですか。
アドバイザー
決めるのは三つです。経営の方向と誰が決めるか、伝える順番、支払いが止まらないこと。制度や仕組みを変えるのは、相手の会社を知ってからにします。「100日」は、中小企業庁の中小PMIガイドラインにある言葉です。この記事では、譲り受け直後の初動を指す言葉として使います。
聞き手
ガイドラインでは、100日はどういう期間として書かれているのですか。
「100日」は、ガイドラインのどこにあるのか

アドバイザー
ガイドラインは、成立後の初日を起点に、1日目をDay.1、100日目をDay.100と呼びます。成立後から1年程度に行う統合の取組が、PMIです。PMIとは、買った会社の経営と業務を一つにしていく作業のことです。経済産業省も、M&Aの成立は「スタートライン」に過ぎない、と書いています。
聞き手
100日は、その1年の中のどこにあたるのですか。
アドバイザー
推進体制の確立、関係者との信頼関係の構築、成立後の現状把握などを、100日までを目途に集中的に実施する、とあります。100日は、すべてを終える期限ではなく、これらの取組を集中して行う目途です。そのほかの課題は、成立後概ね1年を目途に、必要な事項を選んで優先順位を付けて取り組む、という書き方です。
聞き手
100日のうちに、全部やらなくてもよいということですか。
アドバイザー
全部は現実的ではない、というのがガイドラインの前提です。人員も資金も限られる中小企業では、全ての課題やリスクに対応することは必ずしも現実的ではない、と書いています。何をやるかより、何をあとに回すかを決める作業です。
聞き手
では、買った会社で先に決めておくものは、何ですか。
最初に決めることは、三つある
アドバイザー
成立日の午後に、経理の担当者から「この支払いは誰が承認しますか」と聞かれる場面を考えてください。架空の場面です。売り手の社長は午前中に挨拶を済ませ、もう席にいません。この問いに答えられる状態が、出発点です。
聞き手
一つ目の、経営の方向と誰が決めるかは、具体的には何をすることですか。
アドバイザー
方向は、何のために買ったのかを言葉にして、社内外に説明できるようにすることです。ガイドラインも、経営の方向性を言語化して関係者に説明することが求められる、としています。時期は、売り手の社長との面談の前です。ガイドラインに載っている失敗例には、買い手が示した方向が売り手のこれまでを否定する内容で、売り手の経営者と従業員の信頼を失ったものがあります。
アドバイザー
ガイドラインに載っている失敗例が二つあります。営業や生産の判断のすべてに売り手の社長の承認が必要だった会社で、退任後に現場が判断できず業務が停滞した例。在籍期間を決めていなかったため、売り手の社長の影響力が長く残り、進めたい改革の抵抗勢力になった例です。社長の処遇は、最終契約の時点で書面にするとされています。決裁者と在籍期間は、成立の前に決めておきます。
聞き手
二つ目の、伝える順番は、どう考えればよいですか。
アドバイザー
従業員には、遅滞なく、全員に、同時に、等しく、正確に伝える、とされています。ただし、業務への影響が大きいキーパーソンには、先に個別に伝えて協力を合意しておきます。主要な取引先は、成立直後に売り手の社長と一緒に訪ねる、とされています。継続取引が解消されるおそれがある先は、成立前に訪ねることもあります。伝える中身では、変わらない点を先に示します。売り手側から見た社員の不安は、会社を譲ったら、社員はどうなるのかに書きました。
聞き手
三つ目の、支払いが止まらないことは、なぜ最初に挙がるのですか。
アドバイザー
ガイドラインに載っている失敗例があるからです。資金の管理を一手に担っていた売り手の社長の配偶者が、成立後に退職し、重要な支払いが滞って取引先に多大な迷惑をかけた例です。誰が口座と承認を握っていたかは、買う前の調査、つまりデューデリジェンスで見えないことがあります。ガイドラインも、成立前の調査では検知できないことがあり、特定の人に属人化した業務は本人への聞き取りで把握するしかない、としています。見抜き方は、数字が合わない会社を、どの段階で見抜くかに書きました。
聞き手
この三つは、ガイドラインの項目と同じ分け方ですか。
アドバイザー
同じではありません。ガイドラインの項目名は、推進体制、信頼関係、現状把握などです。三つは、経営者が最初に迷わないように、私が置き直したものです。
聞き手
逆に、急いで決めると失敗するものは、何ですか。
急いではいけないことは、相手の会社を知ってから決める

アドバイザー
人事と賃金の制度、取引条件、社名や屋号、業務の仕組みやシステムです。現場の実情を知らないと、決め方を誤りやすいものです。ガイドラインには、成立直後から買い手の「当たり前」を次々に導入した結果、従業員の協力を得られず、それまでの事業の運営すら困難になった例があります。
POINT
分け方は、止まるか、相手を知らなくても決められるか
最初に決めるものと、あとに回すものを、二つの問いで分けます。この問いは私の整理です。ガイドライン自身は、重要性、緊急性、実行可能性の観点で、取組の優先度を判断するとしています。
- 止まれば事業が止まるか。止まるなら先に決めます。決裁者、支払い、キーパーソンと主要取引先への説明が当たります。
- 相手を知らなくても決められるか。知らないと誤るなら、あとに回します。人事・賃金の制度、取引条件、社名や屋号、業務の仕組みやシステムが当たります。
- あとに回すとは、やらないことではありません。現状把握を終えてから、優先順位を付けて決める、という意味です。
聞き手
賃金や取引条件は、買ったあとも何も変えないのですか。
アドバイザー
変えないと決めるのではなく、時期を慎重に決める、という書き方です。賃金や退職金といった労働条件は、成立後の一定期間は現状の水準を維持する旨を合意することもある、とあります。不利な取引条件の取引先があっても、直ちに是正を依頼すると関係が悪化するおそれがある、とも書かれています。商号、つまり会社の名前の変更も、これまでとの差が大きい変化に含まれ得る、とあります。取引条件に手を付ける前に、文書にない経緯や暗黙の取決めまで、関係者への聞き取りで把握するとされています。ITシステムも同じで、まず課題とリスクを把握し、重要性の高いものから対処します。
CAUTION
労働条件の変更は、専門家と決める
- 賃金や就業規則を変えると、労働条件の不利益変更にあたる場合があります。ガイドラインも、不利益変更を伴う場合は機微に触れるため、要否や時期を含めて慎重に検討する、としています。
- 個別の扱いは、社会保険労務士や弁護士にご相談ください。ここで私が判断できる範囲ではありません。
聞き手
変える側に動くなら、何から手を付けるのが安全ですか。
アドバイザー
従業員の得になる、小さなことからです。ガイドラインは、100日以内を目途に、即効性のある就労環境の改善を、可能な範囲で実行するよう勧めています。旧式のオフィス機器の入れ替えや、賃金引上げなどの処遇改善が例です。成果が見えないと、この買収は必要がなかったのではないか、という空気が漂うためです。変えるなら、引き算ではなく足し算から入ります。
聞き手
その進め方を、買う前に紙に落とすとしたら、何を書けばよいですか。
買う前に、紙に書いておくこと
STEPS
- 経営の方向を三行で書き、売り手の社長の役割と在籍期間を書面にする
- キーパーソン、全従業員、主要取引先に伝える順番と日を決める
- 口座、支払い、承認の担当者を、成立前に洗い出す
聞き手
この三つが決まっていれば、あとは相手の会社を見ながら進めてよいのですか。
アドバイザー
そうです。ガイドラインも、まずは事業の円滑な引継ぎに向けた課題に対応する、としています。そこから先は、現状把握で見えた課題に優先順位を付けて取り組みます。現状把握では、各従業員の担当業務と取引先、課題を、日報や聞き取りで確かめます。書き方に迷うなら、経済産業省が公表している分析ワークシートや統合方針書などの実践ツールが型になります。買う前の見極めは、買ってはいけない会社の見分け方にまとめています。
QUESTION
あなたが会社を買った日の午後、最初の支払いを承認するのは誰か、決まっていますか。